心と経営の力学 【No.21】 生産性向上や社員の資質を見極めるのに役立つ、「守・破・離」の視点
生産性を高めるために、重要業務に対する標準作業(プロセス)の設定やマニュアルのない企業には、その作成を強くお勧めしています。しかし、この時に難色を示す経営者が少なからずいらっしゃいます。
世の中を見回すと「標準作業」や「マニュアル」に対し、「行動をガチガチに"制限"するモノ」「効率重視で社員の動作を正確な機械のように規定するモノ」「何となく無味乾燥な感じがするモノ」・・・、といったマイナスイメージが溢れているので無理もないかもしれません。
昨日、ご訪問したN社の社長も同様の理由からマイナスイメージを抱いており、どちらかというと「マニュアル」否定派でした。
しかし、本当に「標準作業」や「マニュアル」には、このような、厳しい「制限」「制約」「規律」・・、といった側面しかないのでしょうか?
私は、使い方次第だと考えています。
たしかに、「標準作業」や「マニュアル」には、こうした「制限」といった側面もあります。そして、実際に、この部分を重視して運用している企業もあります。
一方で、「制限」ではなく、よりよい方法を示しさらに発展させるための「ガイド」や「基盤」という側面を重視するのであれば、次のような効用が見えてきます。
1)社員の能力を底上げできる。
2)新人を短期間で戦力化できる。
3)社員に成長の機会を提供できる。
4)社員の資質を見極めるのに役立つ。
5)当社のニーズにマッチした人材を採用しやすくする。
ここで、前回のコラムで使用した図を用いて、各効用についてもう少し細かくみていきましょう。
この図の中で「標準作業」や「マニュアル」に該当するのは、左上のブロック「基本形:A1」となります。
ここで「マニュアル」に関して、1つの事例をご紹介します。
=====
H社は全国に数十店舗を展開する小売業ですが、この「基本形:A1」に関する書類が殆どありませんでした。このような状況の中、全販売スタッフの平均売上に対し常に2倍~3倍を売上げるスーパー販売員の田中店長(仮称)がいました。何年分かの過去データを確認しても、店舗の場所や形態に関わらず、行く店、行く店で突出した成果を出し続けていました。そして、社長をはじめ多くのスタッフが口を揃えて「アイツは特別だ。誰も田中の真似はできない」と、語っていました。
そこで、田中店長の店舗も含めて実際に3店舗に覆面調査で入って接客を受けてみました。
たしかに、いつの間にか覆面で入っている事を忘れてしまうほど田中店長の接客は素晴らしいものでした。知らない間に距離が近づいていて会話が弾んでいるのです。皆さんが言う通り、田中店長の人間的な魅力に引き込まれている感が強く、一見すると他のスタッフに展開するのは難しそうに感じます。
ここで、素性を明かして、本人に意識的に接客しているポイントを尋ねてみました。しかし、有効な答えは殆ど返ってきません。そう、意識せずに自然にやっているのです。
そこで、来店客の購買行動に繋がるまでの店舗運営プロセスを、次の(a)~(c)の項目に分けて、さらに各項目ごとに把握できた他スタッフとの違いを、呼び水的に2個~3個ずつ示した上で再度ヒヤリングを試みました。
【店舗運営プロセス】
(a)入りやすいお店の雰囲気づくり
(b)感じのいい店づくり
(b1)居心地の提供
(b2)安心感の提供
(b3)顧客の購買意欲を高める
(c)「また来たい」と思える環境づくり
すると今度は、各プロセスの中で、来店客に対して気遣っている点や日頃とっている行動が、少しずつ出始めました。例えば、最初の会話は「天気や店までの移動手段など、差しさわりがない話題に触れる」など、言われてみれば当たり前のことですが、他の2店舗の接客を思い返してみると確かに違う話題から入っていました。また、面白いものでヒヤリングを続けていると、途中から堰を切ったように、どんどんと情報が溢れ出してきます。
こうして明らかになった一連の情報を、最終的に(a)~(c)の各項目の中を、さらにいくつかの中項目「顧客の行動心理に関する内容」、「接客のポイント」、「具体的な会話例」・・に分けてマッピングしたところでマニュアル(Ver1.0)の完成です。理想形を100とすれば、この時のマニュアルは50点~60点ぐらいの出来でした。しかし、これまでの何の足掛かりもない状態(0点)からすれば大きな前進です。そして、このマニュアルは実際に他店舗のスタッフ教育や新人教育にも役立ちました。また、活用しながらどんどんとブラッシュアップしていくことで理想形に近づいていきました。
田中店長の接客レベルを、あくまで成果(売上)という観点で考えて100点とした場合、以前は多くのスタッフの接客レベルが40点~60点の状態でした。なかには20点、30点の新人もいました。しかし、このマニュアルをつくり活用したことで、スタッフの平均レベルを70点~80点に引き上げることが出来ました。また、新人を短期間でレベル50点まで持ち上げることができました。
従来の各スタッフの個々の努力に委ねていた状態から、「マニュアル」によるプロセスの見える化・意識づけ・教育といった「仕組み」を導入したことで、各スタッフが短期間で接客能力を高めることに成功したのです。もちろん、企業全体としも販売力が底上げされました。
ここで少し考えてみてください。
「各スタッフ」「会社」「来店客」のそれぞれにとって、マニュアルがある時と、ない時、どちらが幸せでしょうか?
======
さて話しを戻します。この事例をベースに考えると、マニュアルを作成したことで、 1)社員の能力を底上げできる。 2)新人を短期戦力化できる。の2つの効用についてはご理解いただけたと思います。
次に、 3)の社員に成長の機会を提供できる、効用についてです。基本形のA1となる「標準作業」や「マニュアル」があることで、ハードルを下げた状態で、社員に、業務のカイゼン「A2」や変革「A3」、あるいはあらたな業務の確立に取り組む機会「B」や「C」を与えることができます。
これは、効率的に技能を高める時のプロセス「守・破・離」のようなイメージです。ここでは、
「守」に相当する部分が、基本形のA1となる「標準作業」や「マニュアル」。
「破」に相当する部分が、「標準作業」や「マニュアル」をカイゼンしたり、より発展させるための「A2」や「A3」。
「離」に相当する部分が、これまでの手法に捉われないプロセスを導入する「B」や「C」となります。
なお「守・破・離」については、ウィキペディアで次のように解説されています。
*** ウィキペディア(抜粋)より ***
修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。
---中略---
個人のスキルを表すため、茶道、武道、芸術等、あるいはスポーツや仕事等々において様々な成長のプロセスに用いることが出来、以下のように当てはめることができる。
・守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
・破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
・離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。
********************
この解説からも分かるように、既に基盤がある、すなわち「守」がある状態では、「守」→「破」→「離」と進むに従って、業務の難易度はあがっていきます。ここで、前述の図のように会社の業務の中に5つの要素があれば、「基本形のA1」から「思考錯誤をしながらあらたな業務プロセスCを確立する」まで、順番に取り組ませてみることで社員の育成を早めるばかりか、5)の社員の資質も見極めやすくなります。
また、募集採用にあったても、「やる気がある社員」「明るい社員」といった抽象的な表現ではなく、「当社固有の○○技術のカイゼンや応用を通して生産性を高めてくれる技能者」とか、「新規の営業プロセスを導入して当社の販売力を底上げしてくれる経験豊富な営業マン」といった、より具体的な表現を用いた募集をかけることができます。ちなみに、優秀な方ほど具体的な表現で募集をかけないと殆ど集まりません。逆に、募集内容が具体的であればあるほど、当社が実際に求める技能や経験を持つ人、素養のある人、意欲の高い人を採用できる確率が高まります。 つまり、6)の当社ニーズにマッチした人材が採用しやすくなる、わけです。
如何でしたでしょうか?
このように、標準作業やマニュアルを、会社をより良くしていくためのガイドや基盤と捉えて運用していけば、冒頭で述べたような強い「制限」を与えるツールではなくなると思いませんか?
ぜひ、このような視点を重視して「マニュアル」をつくり、運用していくことで、「社員」「会社」「顧客」の三方よしの状態を創り出していってください。